怒力発電所もしくは瞬間湯沸かし器。

人付き合いの上で、公私ともに意味のない振る舞いだと思うのが怒りを露わにすること。

怒るような状況に至るにはそれなりの原因や理由なんかはあるんだろうけれども、怒りそのものを相手や対象にぶつけたところで直接の解決に至るわけでもないし原因が究明されるわけでもない。
なんなら周囲が委縮して報告や相談が遅くなったりなされなかったりする可能性が高くなるケースのほうが多いのではないかと。

いずれにしても生産性に対しては多少プラスになる可能性はあるかもしれないけれども、同時に支払うことになるマイナスのほうが大きいだろうと感じる。

なんにしたって理性的な人間のやるこっちゃないよなと。

そりゃまぁ怒鳴り散らすことでたとえば必要書類が畑の土からにょきにょきと生えてくるとか、空から人員が降ってくるとかするんならどうぞいくらでも怒鳴り散らしてくださいわたくし共は別室で休憩しておりますのでってなもんだけれども。
そんなことは現実にはまず起こりえないので空から女の子が降ってくることもないということだ。

一方で喜怒哀楽の感情を内内で消化ないし昇華して自身の糧に出来るという人種というか性格であったら得ではあるだろうけれども、たぶんそういうのとはまたエネルギーの質が違うというか。

意外と怒鳴りたがる大人というかおっさんらというものは見かけるので、そういう発散もしくは放散の仕方がある程度認められる環境に長く身を置いてきたのか、はたまた昔の世代が過ごした社会がそういう構造だったのか、というような印象だ。

ところがそれは今言ったように昔の話なので今の時代にはそぐわないし、みんな賢くなったので怒ったってしゃーないという意見の人もかなり増えたように感じる。
少なくとも観測している範囲内においては。

喜怒哀楽、アクティビティや行動暴動デモ戦争、なんでもそうだけれどもどれも全部エネルギーというものがかかわっているとみることができるので、どうにかしてその無駄に放散するしかないエネルギーで効率的にお湯を沸かしてタービンを回し発電できるような仕組みを考えてみて欲しいと思ったりもする。

人類の進化は湯沸かしにあり。