#ミクはしまぱん

というツイートが今朝方流れてきていたのだけれども、正直これは持論と一致する部分がある。

宗教というものは宗教と名前がつくものだけじゃなく、日常生活のあらゆるところに偏在していて、その中でも特に信条や教義を定めて整備したもの、体系化したものが特に宗教と呼ばれるだけであって。

つまるところ、きのこたけのこ戦争も一種の宗教戦争だと言えるし、Apple製品信仰やスバル車オタクなんていうのもこういった特定のメーカーや製品を対象にした信仰であり宗教だとみることも出来る。

で、宗教と聞くと眉間にしわがよったり眉をひそめる人もいたり、まぁおでこ周りの表情筋ってそういうときに大事だから鍛えておいてもいいかもねアメリカ人とかあの辺やたら動くしみたいな、というのはどうでもいいんだけれども、表情筋を酷使するような人たちでも日常生活の中で無意識のうちに信条信仰は持っているわけだ。

それが別にいいこととも悪いこととも思わないが、例えば体質だったり体型だったりちょっとした個人の特徴や特性に由来する信条なんてのも少なくはないわけだし、経験的に身についた信仰というものもあるだろう。

例えばシャンプーだったり発熱性繊維による衣料だったりで肌が荒れやすい人、ジプシーしてる人とかはあのメーカーの製品はダメでこのメーカーの製品なら安心、だとか、ユニクロのサイズ表記は表記よりもタイトだからユニクロは好まないとか。
整備性がいいからトヨタ車が好きだとか、水平対向の機械的な魅力が好きだからスバル信仰だとか、ブリジストンのタイヤ以外は信用出来ないとかSONYのアイフォーンが一番だとか様々。

まぁどれも第三者から見たら言うほどのもんでもなかったり滑稽な話だったりするのだけれども、当人には大事な要素だったりするし、それによってその人の生活に平穏がもたらされているという部分も少なからずあるだろう。

つまり信じるものが救われるのはなにも神様の教えだけじゃないという事で。

そこに平穏があるならば何を信仰してもいいと思う。
ただし他人に押しつけたりしつこく布教してまわったりだとかして他人に迷惑をかけない範囲で、ならばだけれども。

 

ところで、今回の記事タイトルの意味が気になっている人、そろそろ理解出来た人もいるのかもしれないけれども。

#ミクはしまぱん というハッシュタグは自分のtwilogをあさってみたところ残っている限りでは2010年くらいから存在していて、流行したとまでは言わないけれども意外と今でもほそぼそと残るムーブメントというかジョークではある。

なんでこんな話をするのかというと、根拠あろうがなかろうがミクのおぱんぱんがしましま、特にミクグリーンと白の縞々であるという信仰や派閥が存在することによって日々心穏やかに暮らせる人たちもいるのだろう、世界は広いのだしネットは広大なのだし。
(ちなみにジョーク程度に捉えているのでどっちでもいいんだけど

ミクのぱんつがしましまだという信仰に限った事ではないのだけれども、それを信奉しあがめてありがたがるというのは立派に宗教なのだし、遵奉しすぎて大仏を彫ったりとかしだすのでフィギュアをまつって毎日拝むのも徳が高い行いだと言える。
その日頃のおつとめの結果心穏やかに安らかに生活し、にこにこと社会生活を営むことが出来るのであればその人に関わる周囲の人にもその安らぎは伝播し結果的に幸福な社会が築き上げられるという未来を望むことも出来るというわけだ。

だから隣人が信奉する宗教や信条が特に自分に害を及ぼすでもないのであれば
「そっかー!君が幸せならいいんじゃないかな!」
という程度のおおらかなスタンスで生暖かい目で見てあげる事が世界平和につながることであろう。

信仰の自由は権利として保障されているわけだしね。

 

個人的には#ミクはしまぱん教はHiroyuki ODAことかんざきひろ氏によって運営され、本尊はぷにみくでやって欲しいところではある。

 

 

ま、そういうのもいいよね。それで救われる人が一人でもいるのならば。